この日は、まず、液状化でふきだした泥を撤去しに出動した。昨日、私とS君が「力仕事できるのは君達しかいないから。2人で30分程の作業だから」とコーディネーターの人に言われていたのだ。
あぁ、今思えばなんと詐欺的な言葉だったことだろう!!幸い、もう一人おじさんが来られたので3人で作業したのだが、1時間ほどかかった。液状化のあの重い泥をスコップで休みなくかきだし続けて1時間である!!!作業後、道端に座り込む3人の姿があった。それはまるで、あしたのジョーの最終回ようだったという(わかるかな〜?)。
センターに帰ると、大阪からやってきたという大学生と知り合った。この茶髪の男こそおけピーである。もっとも、彼も私もこの時点では「おけピー」「くわまん」などと呼ばれるなどとは、予想だにできなかった。ましてやA.P.F.などという、あやしい団体の構成員にさせられることをや(???)。
この日もボランティアの数に比べてニーズが少なかったことから、午後からは日野町に派遣。S君、おけピー(仮)、私を含む約10人。
日野町の災害ボランティアセンターに着くと、「下榎で人が足りないから、そこの元気村に行ってほしい」と地図を渡された。しかし、いくら地図を探しても「元気村」なんてない。それもそのはず「元気村」とはあの有名な神戸のボランティア団体であり、下榎で活動していたのであるが、私たちのなかで知っているものはいなかったのである。
「国道は通れないから迂回路で」という指示に従って移動。道中、崩れた岩が落ちてるは、道がひび割れたり崩れたりしてるは、段差はできてるはで、もう大変。愛車シルビアは飛ぶは跳ねるはでもう泣きそう。「災害地 パジェロで行こう 気を付けて」
本来10分でいける距離をおよそ50分かけて現地に到着。帰るときに、実は迂回せずに行くことができたという衝撃の事実を知ることになるのだが・・・。
そこでは、まず、おけピー(仮)と軽トラで土嚢を取りに行った。「めいっぱい積んできてほしい」とのこと。2人で土嚢を積み込みはじめた。最初は話をしながらだったが、重労働でだんだん無口に・・・。そのときだった。「ストップ!ストップ!」おけピー(仮)がタイヤを指差した。そう、タイヤが完全につぶれていたのである。
軽トラの最大積載量は350kgである。にもかかわらず土嚢を山積みしたのである。あほである。どうするかしばらく考えたが、いまさら山積みした土嚢をおろすのも悔しかったので、近くのガソリンスタンドで空気を入れることに。時速10km、迷惑な2人。
元気村の本部に帰ると、各家庭をまわってニーズをきいていた。「ニーズなんて待ってたって来ないよ。電話だって臨時回線なんだから」とはスタッフの言。そりゃそうだ。今思えば米子はこの点で不十分だったのでは。
帰る前に米子から来たメンバーで話をしていたら、意外な事実が発覚。メンバーの多くが26歳だったのである。最近17歳がよく話題になるが、我々も負けてはいない。「暴走する17歳」ならぬ「迷走する26歳」である。いや、ほんとはみんな無理に時間を作ってきてるんだけどね。
おけピー(仮)は日野に残った。
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