この日、センターに着くと、待機者は0だった。活動中の1グループもしばらく帰って来そうにないということで、スタッフの人二人と屋根のシート張りに出た。行き先は「シュッポッポ」という喫茶店。料理を機関車が運んでくるらしい。しかも、建物自体もSL型。ちいさい頃、国道沿いにあるこの店の前を通るたびに、入りたくてたまらなかった。なんだか、血が騒ぐ(?)。
スタッフの人のうち一人は高い所がまるっきりだめということで、私が屋根にのぼらなければならなかったが、この頃にはこの程度の屋根は余裕になっていた。活動経験者が私一人だったため意思疎通が難しく、手間がかかったが、なんとかやりとげた。
午後からはNTさんと雨どいの掃除に行った。このNTさんは、後に「復興コンサートにサザンを呼ぼう」という活動をしていた団体の方である。あの活動はやっぱりだめだったのだろうか?残念。
現場につくと、確かに雨どいにいっぱい土がつまっていた。この家は瓦には被害がなかったようだが、地震でやっぱり瓦の下の屋根土が出てしまい、濡れるとねばりをもつ屋根土が雨で流れてつまったようだ。後の活動も含め私の知る限りでは、屋根に土をつかっていてこの被害を受けなかった家はない。NTさんも高い所が苦手なため、とりあえず、はしごから手を伸ばして土をかきだすことに。
その作業中、手のわずか5cmほど先にすごい物を見てしまったような気がした。巨大な蜂の巣・・・、目を疑った。一瞬頭の中が真っ白になったが、そのことが間違いのない事実であることを認識したとき、思わず「うおっ!!」と叫んでしまった。いや、もっとあやしい叫びだったかも、「うわわぁ〜!」。いや、「くえぇぇ〜〜!!」かも。いくらなんでもそれはないか。
すると、その家のおばあちゃんが「そこに蜂の巣があって困っとるけん、とってごしない。」知ってたなら先に言ってくれー!びっくりしちゃったじゃないか。
結局、その巣はNTさんがはたき落としたが、その巣がどこに飛んでったかわからなくなって、大パニック。逃げまどう二人。さらに、二階の雨どいも掃除した。そのためには屋根に上らなければならないが、上れるのは私だけ。けっこう高い屋根だったが、なんともなかった。今思えば危険な慣れ。手が届かないところもあったため、ホースの水で洗い流した。
しかし、これが思わぬ危険を招いた。さあ、屋根からおりようと足元を見ると、瓦がびしょ濡れ、しかも泥つき。少し歩くと恐ろしくよく滑った。四足歩行に進化の道を逆行し、そろそろとおりたが、それでも滑りまくった。あ、受験生が見てたらごめん。
この日の活動が終わり、帰ろうと車に乗ったところで電話。ぽん輔からだった。JR境線の、ある駅の場所が知りたいと言うことだったが、私も知らなかった。こんな田舎では、みんな車で移動するから、よく行く場所にある駅以外は知らないのが普通だろう。ヨッシーは献血をしてから(!)、九州方面に向けて出発したということだった。あの偏った食生活、あの睡眠環境で、長期間肉体労働をしていた後に献血とは・・・。そのバイタリティーには頭が下がる。もしかして、肉体年齢はヨッシーが一番若いかも。
それはともかく、これで私を除くA.P.F.メンバーがこの地を去り(居ついてしまったヤツもいるが)、それぞれの道へ旅立った。これはA.P.F.だけではなく、この頃を境にボランティア数は目に見えて減った。特に泊まりのボランティアがいなくなり、体育館もほとんど利用されなくなった。
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