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くわまん日野日記
2000年10月・鳥取西部地震。地震直後から、コツコツと災害ボランティア活動を続ける、我らが、くわまん。そんな彼が綴る体験記です。

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phan-phan
第四部 <続・日野町にて -旅立ち- >
10月21日

 それは未明に起こった・・・。ガラガラガラ!バシン!何者かが乱暴に部屋に入ってくる音で、浅い眠りがさえぎられた。ドタドタドタ!ドタン!その人物は私の横に寝っころがった。すると1分もしないうちに・・・、グゥ〜グゥ〜!「もう寝たんかい!それにしてもすごいいびきだ」と思ったが、このときは私もすぐに再び眠りに落ちた。

 ・・・・・・。「なんか寒い」、目が覚めると、掛けていた毛布がない!暗闇のなか見渡すと、さっきの人物に奪い取られたようだ。無理やりとりかえそうとしたが、結局1枚は強く握りしめていて奪回不能だった。「寒いな〜」と眠れずにいると、今度は・・・、バキ!「痛てぇ!」、殴られた。しかたなく少し離れ気味に移動したが、やっぱり・・・、バキ!!!「痛ったいな!もう!」、蹴られた。

 そんなこんなで、明るくなりはじめるころ、その人物は部屋を出ていった。そのとき見たのは、BBさんの姿だった・・・。BBさんはスタッフとして活動されていた方である。通常スタッフはセンターで寝るのだが、BBさんはボランティアとの連帯感のようなものを作ろうと体育館で寝るようにしていたらしい。とてもいい人だった。だが、しかし、でも、「眠る人間公害」、「眠る人間凶器」。忘れはしないだろう。

 午前中、蔵の土壁の崩れ落ちた部分をシートでおおう作業をしているとき、みんな心なしか嬉しそうだった。私にいたってはウキウキしていた。昼には「おこわ」の差し入れがあるときいていたのだ。作業が終わり、「もしかしてなくなってるかも」との一抹の不安をもちつつもセンターに帰ると、あった、ありました。久しぶりのおいしいお米。うぅ、嬉しい(涙)。

 午後からは、屋根にシートを張りに行った。現場に着くと、その家のおばあちゃんから、二階の屋根の棟瓦のあたりが壊れているとの説明をうけた。しかし、この家の二階は広く、当然その屋根も大きい。それを見上げた私には屋根が「そびえたっている」ようにしか見えなかった。

 来ていたのは、ヨッシー、ぽん輔、あべちゃんに私のA.P.F.メンバーとはらっぺにスキンヘッドのおじさんであったが、この屋根にのぼれるのは、高い所が大好き(?)ヨッシーと高い所も大丈夫あべちゃんだけだった。「屋根の上に二人だけでできるんだろうか」との不安もあったが、とりあえずやってみることに。

 そこで、考え出されたのが、シートをたたみ直して屋根の上でひろげやすくすること、シートを張る面積をなるべく小さくすること、屋根の上でも持ち運びやすいよう土嚢を減量化すること。実は、これらは、後にシート張りの技術が確立してからもされていること。それをこの段階でやっていたとは、今思えばびっくりである。時代の最先端。すごいぞA.P.F.!やったぜA.P.F.!

 
10月23日

 夕方バイトが終わった頃、ぽん輔から電話。「今日で日野町から撤収するんで、米子で飯でも食いません?」てことで、とりあえず、場所の分かるガストで待ち合わせ。

 駐車場で待っていると、ヨッシーのキャラバン(二人乗り)がやってきた。三菱大好きあべちゃんは昨日帰ったということだった。それから、はらっぺも帰ったということだった。ファミリーネームまでつけてたのに逃げられたらしい。そんなにあやしいか!みんなA.P.F.に入ろう!「入ってくれぇ〜!」(ぽん輔の叫び)

 あ、なんか話がそれてるな。戻そう。ヨッシーは「焼き魚」を強くご所望だったが、移動が面倒臭くて結局ガストで夕食。食事中、ヨッシーとぽん輔がA新聞の取材を受けたと聞いた。A.P.F.に興味をもったらしいということだった。またまたすごいぞ!A.P.F.!

 その後、やまごんと待ち合わせ。ぽん輔が自転車と寝袋をかりるらしい。なんでも、放浪の旅人ぽん輔は移動資金を得るために仕事を探すつもりで、その間野宿するつもりだとか・・・。彼の怪しさはとどまるところを知らない!

 ヨッシーのキャラバン、私のシルビアの前で記念撮影して別れた。

 
10月24日

 この日、センターに着くと、待機者は0だった。活動中の1グループもしばらく帰って来そうにないということで、スタッフの人二人と屋根のシート張りに出た。行き先は「シュッポッポ」という喫茶店。料理を機関車が運んでくるらしい。しかも、建物自体もSL型。ちいさい頃、国道沿いにあるこの店の前を通るたびに、入りたくてたまらなかった。なんだか、血が騒ぐ(?)。

 スタッフの人のうち一人は高い所がまるっきりだめということで、私が屋根にのぼらなければならなかったが、この頃にはこの程度の屋根は余裕になっていた。活動経験者が私一人だったため意思疎通が難しく、手間がかかったが、なんとかやりとげた。

 午後からはNTさんと雨どいの掃除に行った。このNTさんは、後に「復興コンサートにサザンを呼ぼう」という活動をしていた団体の方である。あの活動はやっぱりだめだったのだろうか?残念。

 現場につくと、確かに雨どいにいっぱい土がつまっていた。この家は瓦には被害がなかったようだが、地震でやっぱり瓦の下の屋根土が出てしまい、濡れるとねばりをもつ屋根土が雨で流れてつまったようだ。後の活動も含め私の知る限りでは、屋根に土をつかっていてこの被害を受けなかった家はない。NTさんも高い所が苦手なため、とりあえず、はしごから手を伸ばして土をかきだすことに。

 その作業中、手のわずか5cmほど先にすごい物を見てしまったような気がした。巨大な蜂の巣・・・、目を疑った。一瞬頭の中が真っ白になったが、そのことが間違いのない事実であることを認識したとき、思わず「うおっ!!」と叫んでしまった。いや、もっとあやしい叫びだったかも、「うわわぁ〜!」。いや、「くえぇぇ〜〜!!」かも。いくらなんでもそれはないか。

 すると、その家のおばあちゃんが「そこに蜂の巣があって困っとるけん、とってごしない。」知ってたなら先に言ってくれー!びっくりしちゃったじゃないか。

 結局、その巣はNTさんがはたき落としたが、その巣がどこに飛んでったかわからなくなって、大パニック。逃げまどう二人。さらに、二階の雨どいも掃除した。そのためには屋根に上らなければならないが、上れるのは私だけ。けっこう高い屋根だったが、なんともなかった。今思えば危険な慣れ。手が届かないところもあったため、ホースの水で洗い流した。

 しかし、これが思わぬ危険を招いた。さあ、屋根からおりようと足元を見ると、瓦がびしょ濡れ、しかも泥つき。少し歩くと恐ろしくよく滑った。四足歩行に進化の道を逆行し、そろそろとおりたが、それでも滑りまくった。あ、受験生が見てたらごめん。

 この日の活動が終わり、帰ろうと車に乗ったところで電話。ぽん輔からだった。JR境線の、ある駅の場所が知りたいと言うことだったが、私も知らなかった。こんな田舎では、みんな車で移動するから、よく行く場所にある駅以外は知らないのが普通だろう。ヨッシーは献血をしてから(!)、九州方面に向けて出発したということだった。あの偏った食生活、あの睡眠環境で、長期間肉体労働をしていた後に献血とは・・・。そのバイタリティーには頭が下がる。もしかして、肉体年齢はヨッシーが一番若いかも。

 それはともかく、これで私を除くA.P.F.メンバーがこの地を去り(居ついてしまったヤツもいるが)、それぞれの道へ旅立った。これはA.P.F.だけではなく、この頃を境にボランティア数は目に見えて減った。特に泊まりのボランティアがいなくなり、体育館もほとんど利用されなくなった。

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