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くわまん日野日記
2000年10月・鳥取西部地震。地震直後から、コツコツと災害ボランティア活動を続ける、我らが、くわまん。そんな彼が綴る体験記です。

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phan-phan
第八部 <続々・シート張り繁盛記 -軌道- >
12月1日

 この日は、まずお寺のシート張り。少し遅れて現場に着くと(このセリフ何度聞いたことか)、Gさんの姿がない。今朝帰ったということだった。他のいつものメンバー、Wさん、マーシー(仮)、Hさんは来ていた。この日は他にもキリスト教会の人たちとAさんという人も来ていた。

 作業に加わると、まず、土嚢の軽量化。そう、いつもの作業だ。この作業を、初めて来たAさんとキリスト教会のMWさんに指導しながらやっていた。そう、土嚢隊長くわまんなのである。MWさんはなぜだかこの作業を「たーのしーねー。」と、おおよろこびでやっていた。

 Aさんは、ひたすら脈絡のない質問を繰り返していた。A「○○君(くわまん)はどこからきたの?」く「米子ですよ。」A「そう。ぼくはね・・・{意味不明)・・・。」MW「たーのしーなー。」A「○○君(くわまん)は普段何やってるの?」く「えー、あのですね、・・・。」A「MW君は・・・?」(おいおい!まだなにも言ってないぞ!しかも、またまた意味不明)MW「たーのしーよー。」なんだろ?この状況・・・。

 最近のシート張りの作業では、シートの縁から風が吹き込まないよう、シートの縁に細い板を釘で打ち付けるということを行なっていた。しかし、このお寺では適当な板が見つからなかった。すると、しばらく姿が見えなかったWさんが「ちょうどいいのがいっぱいあった」と、嬉しそうに帰ってきた。その手にはなんと塔婆(!!!)が約10本。後に屋根を見上げた和尚さんが卒倒したとかしないとか。

 午後からは二階建ての家の屋根のシート張り。ここでAさんは意味もなく動きまわっていたが、最終的には作業をしていた屋根の隣の屋根にのぼっていた。なぜ??そして、上で誰かが「ロープ!」と言ったのに対し、下で誰かが「はい!」とこたえたにもかかわらず、Aさんは「S君、ロープ!」。誰かが「土嚢!」、誰かが「はい!」、Aさんが「S君、土嚢!」。誰かが「ハンマー!」、誰かが・・・。さすがにS君もキレぎみだった。

 
12月5日

 この日はNHさんという人が初めて来ていた。聞けば、日野町から100km程はなれた鳥取県東部の気高町から昨晩に来られ、車の中で寝ていたということだった。このNHさんはこれからも何度か足を運ばれた、とてもいいおじさんである。

 この日も作業は屋根のシート張りだったが、終了後シート張りの依頼のあった家に下見にも行った。この家のおじさんは何でも自分でやる人ということで、一人でシートを張っているのを見かねた近所の人がセンターに連絡したらしい。この家はシートでぐるぐるまきで、ひもはいったい何km使ったんだ?という執念の力作。しかし、たった今まで作業していたそのおじさんに「これでは不十分ですからね。張り替えちゃいますからね、はい。」と言ったWさんに拍手。さすがにおじさん落胆してた。

 夜は久しぶりに体育館に泊まった。ここんとこ泊りはマーシー(仮)一人だけだったけど、この日はS君、NHさんに私を含む四人。それでみんなで食事、というのについついのせられてしまいました。ほとんど体育館の住人となっているマーシー(仮)の自炊で食費は一人150円。しかも、翌日の朝食、昼の弁当付き。生活上手の主婦マーシー(仮)!?夜の冷え込みは随分きつくなっていた。毛布7枚でも寒い。朝方、耳が痛くて目が覚めた。

 
12月6日

 この日も淡々とシート張りをこなした。

 ここのところずっと昼食は「赤いきつね」と「緑のたぬき」しかなかったから、弁当がうれしい。マーシー(仮)、ありがとーー!!うぅ、涙。

 強力な戦力だったNHさんが今日の作業後帰られた。今回来るのも仕事上かなり無理をされていたこともあり、次は来れるか分からないということだったので、「週末には女子大生が来る予定です」と言っておいた。

 
12月10日

 朝、センターの駐車場に着くと見たことあるような車が。「もしかして・・・。いや、まさか」と思いながら現場に着くと、「おはよう!」とNHさんが(!)他にも、Wさん、マーシー(仮)、S君、NJさん、Hさんとこの日は人数が多かった。

 この日の午前中は、今までシートを張った家の点検をした。アフターサービスも万全。

 人数が揃ったこともあり、午後からは、なぜだか「わら」運び。地震で壊れた建物を修理する間、昔、牛を飼っていた建物を改造して使いたいということで、その建物の二階に数十年間(!!!!!)山積みにされていたわらを運びだしたいということだった。うーん、一応震災ボランティアか・・・。作業を始めてみると、そこは怪しい黒いほこりが大量に舞う視界3mの異様な空間だった。作業を終えると、マスク代わりのタオルには口の形に黒い跡がつき、みんなの顔には「髭」がはえていた。

 作業後、みんなでセンターから車で20分程のところにある新見千屋温泉に行ったけど、服を脱ぐとぱらぱらとわらが大量に落ちた。温泉のみなさん、ごめんなさい!

 13日にマーシー(仮)が帰るということで、夜は体育館で送別会。参加者約10名。話がこれまで来ていた人のことにも及んだ。センター立ち上げ時から尽力されている図書館長のMさんもA.P.F.のメンバーのことを覚えているようないないような。ただ一人を除いては・・・。

 「もんぺをトレードマークにしてた浅井君(ぽん輔)っていたよね。」

 この時期は、シート張り作業も軌道にのり、波にのり、勢いにものってとにかくシートを張りまくった。屋根に立つWさんとその横で屋根にへばりつくマーシー(仮)の写真が、なんども新聞にのったりもした。とにかくノリノリだった。しかし、まだ先は長く、この後チームの中心人物も減り始めることになる・・・。

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