私は、ボランティアというのは相手がいて初めて成り立つものなんだと思います。自分が何かするだけではなくて、必ず受け入れてくれる相手がいるということです。
ボランティア活動をして、例えば被災地の方にお礼をいわれたり、感動するようなことをいわれたりしたとき、これってどっちがボランティアしてるの?と思ったことがありませんか。
私が神戸にほんの短い期間だけ「ボランティア」として行ったときのことです。あるボランティアセンター(のようなところ)で、路上生活者が不自由な思いをしていないか見てきなさいという司令を受け、大学生数人でぞろぞろと公園に行きました。おっちゃんは「明け方に突然どーんときてな、驚いたで。でも大丈夫や」と、にこにこ話してくれました。そのとき、こりゃボランティアされてるのは私だ!と思っちゃいました。
何かをしたくてうずうずしながら被災地に行って、その思いを満たしてくれるのは被災者の方なのでした(それを「自己満足しにいってる」というのかもしれないけど)。
だから、ボランティアというのはだれかがいてくれて初めて成り立つものだと思う。ボランティアを否定的にいうひともいます。でも私は、ボランティアがかかわることで、相手と自分の中に何かしら生まれるものがあると思います。いいものか悪いものかわからないけど。次に向かって動くための力とか、思い出とか。
大したものじゃなくても、その人のこと、自分のこと、世の中を少しずつ動かしていると思う。ボランティアって簡単なのにむずかしいねー。
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