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ヨッシーのボランティア放浪記
「A.P.F.」を影で支える大黒柱、ヨッシー。今まで決して進んで表舞台に出る事がなかった彼が、ついに思いを語る・・・。

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phan-phan
それから

 次の日から朝は9時すぎにボラセンに行き、寝所に帰るのは5時すぎという規則正しい生活が始まった。旅に出てからダラダラした生活を送っていたので、かえって気持ち良かった。この日からの主な活動はと言うと・・・。

『やっぱり屋根のブルーシート張り』

 この作業は初日から最終日まで有り、かなりのベテランの域に。しやけど最も危ないかもわかれへん。ブルーシートを屋根の一部分か全体に張って、軒先近くまで行ってひもでくくらなあかんし、ずれた瓦を出来る範囲で直したりする。重たい土嚢を屋根まで上げて、急斜面の屋根を足元に気を付けながら、運ばなあかんし。なんせ足を滑らせて落ちたらただでは済まんから。瓦職人も落ちた経験がある人が多いらしい、私も経験者です。しかし、青空のもと作業するのは気持ちのいいものです。

『瓦礫の撤去』

 地震の際屋根から落ちた瓦や、壁から剥がれた土壁、家の中で壊れたもの、その他諸々。<ほんまにいろんな物があった。壊れた家具、雨漏りで腐った畳、壊れたガラス、植木鉢、古本古新聞、使えへんようになった電気機器・・・。この際やからほったと思われる物も多かったが復興するには仕方ないか。>

 これが結構重労働。瓦礫のすぐ横に軽トラをつければ問題無いんやけど、家の裏や車が入って行けない場所がほとんど。こうなるとやっぱり人海戦術。これに限ります。A.P.F.のカヨワイ(?)女性たちも例外ではなかった。それらを軽トラに積みこんで処分場まで運ぶんやけど、処分場には係りの人がぎょうさんいて積み下ろしは楽。その軽トラが帰ってくるまでが休憩タイム。結構腰に来るから(年のせいか?)ホッとするひとときで、この間に被災者の方との話や、他のボランティアの人達との話。たいがい「どこから来た?」から始まって、軽トラが帰ってくると話を中断して、作業続行。これが結構楽しかったなあ。

『家具などの移動』

 壊れた家を直すのにじゃまな家具などを違う部屋や、納屋や離れに移動する。これも難しかった。特に2階から1階へ移動する時などは、物が階段の幅いっぱいやったり、ある時は階段のすぐ下にある扉を開けな通れない所、その扉を開けるには扉のすぐ裏の冷蔵庫を移動せなあかん所があったりした。

『土嚢作り』

 ある日暇だったので我が代表・ぽん輔と2人で土のう作りに挑戦、しかも300個。この土嚢は土砂崩れ防止の為の物で、重た目でつくらなあかんかった。はっきり言って甘く見ていた。いっしゅく砂を土のう袋に詰めて置き場までま運ぶ。一番の重労働やった。早く応援が来る事を願いつつ、汗をたらしながら黙々と作業する。結局、最後には20人くらいになったんやけど、それでも腰と腕が・・・。

『法面(斜面)にブルーシートを張る』

 法面に亀裂が入っている所をブルーシートで覆い、雨が降っても水が入らないようにし、土砂崩れなどを防ぐ。なんかよう分からん作業やった。亀裂を探し上から下までブルーシートで覆わなあかんのやけど、木があったり、畑なんかもあったりするから亀裂以上にブルーシートが要り結構大変。そのうえ、土嚢もぎょうさん運ばなあかんしこれも人海戦術になった。全員で20人くらいで女性はその内7人くらい。皆同じ様に働き、服も結構汚れたが、それは女性も同じで気にしてない様子。さすがにボランティアに来るだけあって、気合の入り方が違う、たくましい。

『日野神社の境内の灯篭や、周りの石(?)などが崩れているのを安全な所に運ぶ』

 この石は重たく、二人掛りでかかったものも多かった。それと指を挟むと大事に。

『家や蔵などの土壁にブルーシートを巻く』

 日野町は旧い町並が残っており建物も当然古い。しやから土壁も多くビックリするくらい剥離して、落ちて来そうな所が多い。余震で落ちて来た所もあったりする。そういう所をブルーシートで巻いて脱落を防止する。はしご作業になるから手間はかかったなあ。

 大体以上私が体験した作業やったが、A.P.F.のメンバーや他のボランティアの話を聞くと、また違った作業も当然あった。心のケアや被害状況の聞き込み、一人暮しのお年寄り宅の訪問など数知れず。

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