ご意見・ご感想
apf-jp.net このサイトのメインテーマは道楽。
肩の力を抜いてノホホンと楽しんで頂けたらこれ幸い。
みなさま、良ければお付き合いを。
トップRouge et Blancくわまん日野日記

くわまん日野日記
2000年10月・鳥取西部地震。地震直後から、コツコツと災害ボランティア活動を続ける、我らが、くわまん。そんな彼が綴る体験記です。

back

phan-phan
第十三部 <明日へ>
3月24日

 4月からの新生活にむけた準備の買い物をしていると、大阪に出張に行っている友人のKKから携帯に電話がかかってきた。「また、大きな地震が発生したみたいですけ、そっちの方は大丈夫ですか?」私は車を運転中だったため気づかなかったが、芸予地震の発生である。「またか・・・」。気が滅入る。

 夜、あべちゃんから、広島へ状況を調査に行く旨の連絡が入る。相変わらず素早い対応。「鳥取西部地震の経験を役立てるべきではないだろうか。なんとか自分も行けないだろうか」と考え始める。

 
3月26日

 明日1日時間が取れそうだったので、この日の夜広島へ出発して、明日1日活動をして帰ってくることはできないかと思い、実際に現地に行った人の話をきく。

 先日広島に調査に行ったあべちゃんの話だと、被害は西部地震のときの米子程度で、街はすでに普通に機能しているとのこと。ただ、米子と比べて人口が桁違いなので、ボランティアの需要は多いのでは?ということだった。あべちゃん自身は明日米子からの救援物資として、水を持っていくことになっていると聞いた。

 次に日野のボランティアセンターに電話してみた。すると、先日、日野から救援物資と してブルーシートを持っていったYG先生が偶然いて、話をきくことができた。先生の話だと、被害は西部地震の境港ぐらい。テレビに流れたような派手に壊れている建物もあるが、まわりの被害はそれから想像するほどではないとのこと。ボランティアの需要もどれほどあるかわからない、とういことだった。

 マーシーに日野の状況をきくと、片づけなければならない依頼は新しいものがかなり入ったこともあり依然としてかなり残っているということだった。結局、行っても有効な活動ができるか不明確な広島に行くよりも、確実に役に立てる日野に行くことに決めた。

 
3月27日

 朝、日野へ向けて出発すると、「災害支援者」と大きく書いた紙を張ったハイエースを目撃。後で聞いたところによると、やはり、あべちゃんたちを乗せた車だった。

 センターに着くと、Wさんと久々のご対面。とはいえ、1週間ぶりですらない。あれだけしょっちゅう顔を合わせていると、少し間隔があいただけでそう感じる。冷静に考えるとちょっと怖い。今日は2人っきりの作業になりそう。センターを出る前に新聞を読んでいると、芸予地震でボランティアが不足しているとの記事があった。向こうに行っても無駄ということはなかったらしい。

 午前中は、地震で壊れたブロックを処分して欲しい、という依頼を消化することになった。しかし、何度電話しても話し中で依頼者と連絡がとれない。やむを得ず連絡なしで現地に行ってみることに。依頼のあった家に着くと、ちゃんとおばあちゃんが出てこられた。

 「ずっと電話しておられました?」「いーえ、電話はしとらんかったです。」受話器がはずれてるのかもと、電話を見るがちゃんと受話器は置いてある。おばあちゃんに電話番号の確認もしてみたが間違ってない。携帯から電話してみた。・・・・・・やはり、話し中・・・・・・。・・・・・・なんで?今度は問題の電話から自分の携帯にかけてみた。・・・・・・なんか変な音がしてつながらない。さらに、おばあちゃんが友達の家に電話してみた。すると・・・・・・、つながったではないか!!

 いろいろ検討した結果、電話線も完全に不必要なほど長かったし、どこか断線しかけているかなんかで、接触不良個所があるんだろうということになった。今までもこういうことあったんだろうなぁ。でも、自分では気づかないし・・・・・・。ま、当の本人はあまり気にしてないみたいだったけど。また犠牲者(?)がでるんだろうね。

 午後からは、驚くなかれ、またもTばあちゃん宅へ。え?あれ以上何の仕事があるのかって?はがれかけた壁のモルタルが隣の家の方に崩れ落ちて迷惑をかけるのではないか、ということで、年末にシートを張って隣に崩れ落ちないようにしていたのだが、結局そのモルタルをはがしてしまっていて、それを処分してほしいということだった。

 現場についてみると、はがした大量のモルタルがこなごなに砕いてあった。この家のおじいさんがこつこつと砕いたらしい。Tばあちゃん曰く、「そんなことせんでもいいと何度も言うだけど、全然きかんだけん。」

 ちなみに、このおじいさんは完全にぼけちゃってるのだが、Wさんが言うには、「あのおじいさんはね、パーキンソン病ですから、はい。まあ、平たく言えばボケですけどね。そんなストレートには言えないですからね。」???もしかして、アルツハイマーか???

 作業の方はというと、モルタルを軽トラにめいっぱい積んで、震災関連の瓦礫置き場となっている滝山(たきさん)公園まで2往復。2人でやるのはちょっとつらい。

 
3月31日

 明日は引っ越しである。しかし、この日で日野町文化センター内でやってきた、ボランティアセンターの現体制 が終わりとなる。その打ち上げがあるということで、昼に引っ越し準備をなんとかすませ、夜、日野に向かう。

 途中、ぽん輔をひろいに大山方面に。もう4月になろうかというのに、この日降った季節はずれの雪であたりが白くなってきた。いったい、ここはどこだ?笑いが止まらなくなってきた。ひとりでかなりあやしい。

 センターに着くと、これからのボランティアセンターについて考える会が終わり、現センターの打ち上げが始まろうかというところだった。打ち上げが始まり、このセンターでいろいろとお世話になった人たちと話をした。マーシー、やっくん、Mさん、YG先生、TYさん、Tさん、NMさん・・・、もちろんぽん輔も。

 その他、多くの人々にここでお世話になった。私自身に何か大きなものを与えてもらったと思う。人間として少しだけ大きくなれたかなと思う。A.P.F.のみんなと出会えたことも大きな財産だ。

 この後、マーシー、やっくん、YG先生、ぽん輔と社会体育館で二次会(?)をし た。いつまでもここにいたい。そう思った。

 でも、明日は朝から引っ越し。そろそろ帰らなければならない(本来帰るべき時間はとっくに過ぎていたが)。後ろ髪を引かれる思いで日野をあとにする。いままで本当にありがとう。ここで関わったみんなと日野町へ。

H13.4.11 くわまん

NEXT

Copyright (C) A.P.F. since 2000