ご意見・ご感想
apf-jp.net このサイトのメインテーマは道楽。
肩の力を抜いてノホホンと楽しんで頂けたらこれ幸い。
みなさま、良ければお付き合いを。
トップRouge et Blancくわまん日野日記

くわまん日野日記
2000年10月・鳥取西部地震。地震直後から、コツコツと災害ボランティア活動を続ける、我らが、くわまん。そんな彼が綴る体験記です。

back

phan-phan
第十二部 <依頼一掃プロジェクト>
2月28日

 この日も聞き取り調査をしてほしいということで、日野へ。センターに着くと、「おはよー!」と明るく迎えてくれた人がいた。おぉ!MWさんではないか!土嚢大好きMWさんである(第七部参照)。あの日以来久々に日野にやってきたということだった。午前中はMWさんと仮設住宅へ調査に行った。先日までの調査と異なり、仮設住宅における調査では歓迎をうけることはほとんどなかった。仮設に入っているのは老人世帯だけではなく、困っていることは特にないというところが多いからだろう。「なにしに来たんだ」というような感じのところが多く、聞ける話も少なかった。時間も1軒当たり10分程。

 でも、突き刺さるような雰囲気の中30分くらいには感じられた。ただ1軒あたたかく迎えてくれたのは、自称ファッショのおじいさんだった。曰く、民主的な方法で決定が悪いものであるより、ファッショであっても良い決定である方がすぐれているとか。このおじいさんは相当な高齢であったが、カブにのっているので移動手段には困っていないということだった。しかし、2度も事故をしているということで1度目で足が悪くなったが、2度目で元に戻ったということだった(!)。

 
3月7日

 この頃いろいろあって精神的にかなりまいっていたので、とても調査を手伝える状態ではなかった。そこで、水曜の男TNさんが来るであろうこの日に作業を手伝いに来ることにした。行き先は、一人暮らしでいろいろと困っているおばあちゃんの家。

 やるべきことはたくさんあったが、それぞれの仕事はそれほど人手がいるものではなかったので、それぞれ別の作業をした。TNさんは玄関の踏み台の作成、私は割れた窓の応急処置をした。このほかにもこの家は地震でトイレの便器が割れてしまっているなど大変な状況だった。

 昼休憩でセンターに帰りあいもかわらずカップ麺を食べていると、MWさんが聞き取り調査から帰ってきた。おぉ!この前数ヶ月ぶりに来たばかりなのに、何があったんだろう?と思っていたが、後でマーシーが「この日は女子高生が来る予定になっています」と伝えていたことを聞いた。ナットク!!

 午後からは、マーシーと屋根のシート張りの依頼の入っていた家に様子を見に行った。この家からは随分前から依頼が入っていたが、まだ屋根の上には雪があることが多く、人手もたくさんいることから、作業にはいれないでいた。この日、見に行ったときも、まだ屋根の上に雪が残っていたので、作業にかかれるのはまだ先だろうということになった。

 この日の活動後、県境をはさんで岡山県にある新見千屋温泉に行った。実を言うと、気分を少しでもリフレッシュさせようと、朝から温泉に行く気ありまくりで、しっかりとタオルなどを用意してきていた。MWさんも行きたいと言ったので二人で行くことになった。気分が悪くなるほど温泉につかって、しっかりリフレッシュ(???)。

 
3月13日

 この日も聞き取り調査に。またまたMWさんが来ていた。しかも女子高生が来ていた。やっぱり・・・。

 「俺はそんなキャラクターじゃない!」とMWさんは強く主張するが、このセンターでは、彼がそういうキャラクターであることが共通の認識だったりする。高齢者世帯の調査ということで、この日最後に行ったところは建設会社のおじいさんの家。自宅と会社がいっしょで、通された部屋は会長室(!)。出てこられたのはまだまだ現役というおじいさん。

 ホントに高齢者世帯のアンケートが成立するのかと思いながらも、やるしかない。苦心しながらやっていたのだが、「そんな一般的な老人像を念頭に置いた質問をされても、私の場合は状況が異なるから答えようがない」とか、そう思うかときくような質問には「それは抽象的にそう思うかどうかなのか、現実の状況を念頭に置いて、そう思うかどうかということなのか」とか理屈っぽくイジメられた。というのは冗談で(半分だけ)、このおじいさんは本格的なサクランボの畑をもっていて、山陰にサクランボを根付かせるのが、今の生き甲斐ということだった。

 
3月14日

 この日は、人数が集まるということで、ずっと着手できなかった、例の家の屋根のシート張りをついにすることになった。しかし、現地に着いてみると、日の当たらない側の屋根にはまだ雪があった。慎重に作業を進める。

 昼頃にその家のおじいさんがやってきて「ラーメンがのびてしまいますけん、早くたべてください。」。これは強引な裏技だった。「いや、そこまでしてもらうわけにはいきません」、なんて言うことは、もちろんできない。ありがたくいただくことに。やっぱインスタントとは違うね。

 この次には、以前行ったことのある家へ納屋のシートを張り直しに行った。一度シートが張ってあるから、その上を歩かなければならず、しかも濡れていたからかなり危険な状況だった。現に屋根に屋根にのぼっていたWさんもHさんも何度か転倒していた。相当慣れている2人だから大丈夫だったが、やはり、こういう状況では慣れた者以外屋根に登るべきではない。

 
3月16日

 日野町ボランティアセンターから電話。3月いっぱいでセンターの体制がかわってしまうので、現在残っている依頼を片づけてしまいたいということで、18、20、21日に人をたくさん集めて、いっきにやってしまいたいとのこと。

 名付けて「依頼一掃プロジェクト」。

3月18日

 依頼一掃プロジェクトに出発。活動先は、以前なおぽんが柿を採ったあげく忘れて帰った家(第三部参照)。作業は母屋と蔵の屋根のシート張り。

 途中、淡々と土嚢の軽量化の作業を軒下でしていたのだが、ふとあることに気づいた。「このオレンジの柱はなんだろう?」見上げると、屋根を支えている。「どっかでみたことあるよなー?」と考えた。すると思い当たるものが・・・。「これ、道路にあるミラーの棒ちゃうん?」こんなもんいったいどこから持ってきたんだろう・・・。

 しかも、あたりを見回すと他にも白い棒が二本屋根を支えているではないか!言うまでもなく、道路標識のついているはずの棒である。

 
3月21日

 この日は途中ぽん輔をひろって日野に向かう。作業先は、以前私が未知との遭遇をした青い城塞である。ついに雪深いここでも作業できるときがきた。

 この日はテンションが相当高かったのか、本来高所恐怖症であるはずの、ぽん輔隊長が屋根に登りまくりだった。作業の方はというと、はがれたシートをいったん完全にはがしてから張り直すというWさんのいつもの手法。しかし、この家の主は、ちょっとしたことが気になってしかたがなく、こつこつと必要のないところにまでシートを張りまくったおじいさんである。シートがはがされているのを見ながら「そんなにはがさんでも・・・」とか「わしはそこははがさんでもいいとおもうだけどなぁ・・・」とかぶつぶつとS君に言い続けていたらしい・・・。

 この日作業が終わると、またも、ぽん輔隊長が勧誘・・・、いや強制入会に力をいれていた。それに根負けしたS君は「やっくん」となる・・・。これでいいんだろうか、A.P.F.・・・。いや、いいんだけどね。

 この日で依頼一掃プロジェクトは終了した。残った依頼もあとわずか。日野のボランティアセンターの現在の体制もあとわずか。なんとかいい形で引き継ぐことができればと思う。

NEXT

Copyright (C) A.P.F. since 2000