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くわまん日野日記
2000年10月・鳥取西部地震。地震直後から、コツコツと災害ボランティア活動を続ける、我らが、くわまん。そんな彼が綴る体験記です。

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phan-phan
第六部 <シート張り繁盛記 -リスタート- >
11月14日

 この日は、朝から雨が派手に降っていた。依頼も減っているし、無理をすることはないと、とりあえずセンターに電話をして様子をきいた。

 「今日はねぇ、雨も降っとるし、ボランティアさんも一人も来とうならんけん、活動はできんじゃないでしょうか」と、センターのNMさん。日野に行くのは見合わせた。

 この日吹き続いた強風により、およそ一月半にも及ぶシート張り行脚を強いられることは、まだ知らない・・・。

 
11月17日

 この日もぐずついた天気だった。この前と同じ状況だろうと、日野に行くのはやめた。

 夕方、電話がかかってきた。米子でいっしょに活動していたS君(第2部参照)からだった。また、しばらく米子の実家に帰っているので、日野に来ているとのことだった。現在の日野町の状況を尋ねると、先日の強風で張ってあったシートがはがれ、シート張りの依頼が一日に一気に20件以上(!)入ったということだった。行かねば。

 
11月18日

 S君に誘われたこともあり、米子のボランティアセンターの反省会に出席。しかし、時間ギリギリまで入口で待っていたけど彼は現れず(彼が来たのは結局終了間際だった)、仕方なく部屋へ向かうと見たことのある赤いジャンパーが。いましたいました、あべちゃんです。なんか場違いな感じで心細かったので、ほっとした気弱なくわまんであった。

 始まってみると、参加者はなんらかの団体の人がほとんどで、一般ボランティアは3人だけだった。やっぱり、場違い。またまた心細い気弱なくわまんであった。

 内容は会計報告と各参加者の気付いた問題点の確認、といったようなものだった。その中で、予算の大半がボランティアの食事にあてられていたことに批判的な方もおられた。しかし、私はボランティアに対し活動中の食事くらい提供してもいいと思う。遠方からわざわざ来られた方に対する気持ち的な面もあるし、長期的に活動できる、比較的時間のある者は学生や無職の人などが多いはずで、これらの人は金銭的な余裕はないと思われるからである。現に私も、全ての食事を自分で用意しなければならないのであれば、ここまで多く活動することはできなかったろう。

 
11月19日

 この日は、まず、神社の社務所の屋根のシート張り。ここで会った人の多くは、これから長期に渡るシート張り行脚の中心的役割を果たすことになり、よく顔をあわすことになる。少し紹介しておこう。

マーシー(仮)さん:歩いて全国を巡る旅人。たまたま、米子で地震にあったことがきっかけで来られた。ずっと後に彼もA.P.F.の一員になることはまだ誰も知らない。シート張りチーム(?)のマネージャー(?)として大活躍されることになる。

Gさん:元気なおじいさん。少し口は悪いが、悪気はない(と思う)。泊まりで活動。

NJさん:このへんの方言全開のファンキーなおじさん。とてもいい人。週末毎に来られる。

KNさん:岡山県の津山から週末ごとに来られたおじさん。被災された方に花を配る活動をされていた。

 午後からは材木等の運搬。建物の修理の邪魔になるので、移動が必要とのことだった。終了後、「きびもち」なるものをいただいた。年配の人は「なつかしい」と言っていたが、私は初めて(さりげなく若さをアピール。←そんなことしてるのは若くない証拠?)。おいしかった。

 
11月20日

 バイト中のことだった。「一昨日、夕方のニュースになんかしゃべってるところが、でっかくでてましたよ。」と言われた。あちゃー!最も場違いな人間だったのに・・・。

 
11月22日

 この日もシート張り。一軒の家の1階と2階の屋根に張った。この日来ていたのは、19日の活動分で紹介したマーシー(仮)さん、Gさんと初対面のWさん、TNさんだった。二人の紹介も必要だろう。

Wさん:シート張り行脚が終わるまで30日以上連続で来られた、元気なおじいさん。シート張りチームのリーダー(と言うよりは親方?)的存在となる。

TNさん:島根県の大田市から数百kmの道程を毎週(!)水曜日に車で来られる、おそるべき体力・気力の持ち主。2月現在まだ日野に姿が・・・。

 シート張りの作業は、土嚢の減量化、シートを張る面積の最小化、竹竿によるシート両端の押さえ、シートの縁の板と釘による固定など、手順が確立しつつあった。

 ここまでしっかりやるのは、予約がいっぱいで春にならないと屋根の修理ができないため、冬を越すことができるようしっかりと張らねばならないからだ。土嚢については、震災直後に大量に作ったものが残っていて、これがアホほど重いから。できてるものを減量するより一から作った方が早いし楽だけど、もう袋があまり残っていなかった。格言(?)「土嚢を作るときは用途を考えよう!」

 作業の途中でS君もやってきた。休憩中、S君とぽん輔は米子のボランティアセンターで会ってるかもと思い、聞いてみた。く「浅井君(ぽん輔)て知ってる?」S「浅井君?」く「あの坊主の・・・」S「坊主?」く「そうそう、ピンクのスタッフジャンパー着てたよ」S「あぁー!あのピンクの!」く「そう、ピンクの」

 この家での作業が終わったときには、もう夕方になっていた。この日の活動はここまでである。これから先ずっと一月以上もシート張り作業が続くことになる。まだ、シート張り行脚は始まったばかり、先は長い・・・。

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