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くわまん日野日記
2000年10月・鳥取西部地震。地震直後から、コツコツと災害ボランティア活動を続ける、我らが、くわまん。そんな彼が綴る体験記です。

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phan-phan
第九部 <続々々・シート張り繁盛記 -冬の訪れ、そして・・・- >
12月12日

 昨日の夕方遂に米子でも少しみぞれが降ったので、もしかしてと思いながら日野に着くと、あたりの屋根は白く、雪もちらついていた。笑うしかない。センターの階段をのぼりきったところで中のマーシー(仮)と目があった。笑っていた。笑うしかない。

 結局この日は、Wさん、マーシー(仮)、私の3人しかいなかったこともあり、午前中に3人で今までシートを張った家の点検をして、Wさんには帰っていただいた。Wさんはもう一ヵ月程休みなく来ているので、疲れがたまっているだろうから、特に作業がない以上休んでもらうべきとの判断だった。

 午後からは、マーシーと二人で土嚢の軽量化。事前にやっておくと便利だし、この天気で他にできることもなかったから。

 S君は今日東京に帰るはずだとも聞いた。

 
12月13日

 この日の午前11時すぎの特急で帰るということで、マーシー(仮)が挨拶に顔を出していた。今までWさんの専属秘書としてスケジュールや各依頼先の状態を把握・管理していた、そのマーシー(仮)がにっこり笑って、私にその膨大な資料を差し出した。「くわまんピーンチ!!」と思ったものの、まわりを見渡しても確かに他に適任者はいないし、マーシー(仮)は笑っていたがその目は私が受け取りを拒否することを拒否しているようにみえた。結局、受け取っちゃったよ、おい。

 さっそくその資料を手に現場へ出発。この日のメンバーはWさん、Hさん、大田から毎週水曜にやってくるTNさんにこの頃から何日か連続で来られたMMさん。マーシー(仮)とはお別れである。段々メンバーが減っていく・・・。

 ここで、「あれ?(仮)はとれないの?」と思ったあなたは日野日記通だね!実は、(仮)がとれるのはずっと先、また別のお話です。

 今日のシート張りの現場への移動は、ボスのWさんとなるべくコミュニケーションをとらねばと、Wさんの運転する藤原自動車号の助手席に。これは今までマーシー(仮)の指定席。長く秘書をしていた(?)マーシー(仮)が帰ることでWさんも感傷的になっていたのか「そういえば、Gのおっさんどうしてるかなぁ」と。「これは下手なことは言えない」と一人で変な緊張感のなか、頭はフル開店、いや回転。「なんだ、なんって言えばいい?」しかし、しばらくの静寂の後でた言葉は・・・、「そうですね、どうしてるんでしょうね」というあたりさわりのないもの。はぁぁ、情けない。

 午前中に1件こなし、午後からはTばあちゃん(第三部参照)の家の屋根のシート張りをした。ばあちゃんが物議を醸すのはもう少し先である。

 
12月15日

 この日のメンバーは、Wさん、Mさん、キリスト教会の2人に私。MMさんは、昨日ぎっくり腰になってしまったため、当分これないとか。シートを屋根にあげる瞬間の出来事だったらしい。やったことない人は「そんなことで・・・」と思うかもしれないが、大きいシートは意外と重いんだこれが。体を鍛えていたMMさんでさえこうなるんだから。

 この日の作業は、蔵とガレージの屋根のシート張り。この蔵は、ふたつの蔵をつなげたものだったが、地震でつなぎ目がまっぷたつ(!)だった。作業にかかると、私は以前作業をした家に残った土嚢をとりに行った。「藤原自動車号」で爆走(間違っても暴走ではない)。この頃には軽トラはこれしかなくなっていた。

 作業が進み、さあシートをかけようという段階になって、大きめのシートがトラックのなかをいくら探してもない!マーシー(仮)がいたときには、こんなことはなかったのに・・・。ってことで、またも藤原自動車号で爆走。今度はセンターへ。にーしーへ♪ひーがーしへ♪マーシー(仮)のいない分を行動量でカバー。え?あほなだけ?それは言うなーー!

 この日の昼食では、さすがに「赤いきつね」と「緑のたぬき」にも飽きてきたので、ずっと手をつけるのをためらっていたカップラーメンに遂に手を出した。その名も「チェキラ(check it out)!」。味は「スーパーソウルトンコツ」と「リズムアンドブルースショウユ」があった。もしかしたら、Wさんなどにいたってはこれが食物ということもしらなかったかも。

 とりあえず、「トンコツ」を選択。異常に味が濃く、とんこつの味を無理矢理強調した感じで、どんな味覚障害の人でもとんこつ味だとわかるんじゃないかというものだった(メーカーさんごめんなさい!)。今の10代にはこういうのがうけてるんだろうか?などとおやじなことを思った。

 
12月17日

 この日も移動はWさんの運転する藤原自動車号の助手席。

 シート張りの現場に向う途中、長い坂をのぼっているときのことだった。なんだか金属が焼けるような臭いが強烈にした。「どうした?!藤原号?」しかし、Wさんに動じた様子はなかった。気付いていなかったんだろうか?現場に着いてからすぐに土嚢をとりに行くため運転したが、やはり臭い。「もしかして昇天?」とも思ったが、帰るときには大丈夫だった。いつまでもつんだろう。

 
12月19日

 この日は意気揚々としてセンターにやってきた。もう鼻歌まじり。いや、マジで。予定では、昨日で今までずっと山積みだったニーズがすべて消化できているはずだったからだ。センターに着くと、予定どおりすべてのニーズがこなせており、あとは後始末をするだけとなっていた。

 午前中はセンターで道具や資材の整理、午後はシート張りをした現場に残っている瓦礫やゴミの回収。めっちゃハイテンション。にこにこの4人(Wさん、Hさん、MMさん、私)がセンターに帰ると、ホワイトボードに紙が3枚。新たなニーズ表である。4人の落胆ぶりは想像に難くないだろう・・・。

 そのうちの1件、Tばあちゃん宅のシートの土嚢の位置直しをこなす。

 
12月20日

 午前中、Wさん、水曜の男TNさん、MMさんと私で家具運搬。家の修理が終わったので、納屋に移動していた家具をもとの位置にもどしたいとのこと。この家には小型犬がいた。そこで発覚、Wさんの意外な一面。「よちよち、いい子でちゅねぇ〜」

 午前中でMMさんが帰ったため、午後からは3人でシート張り。・・・つらい。

 作業が終わりセンターに帰ると、新たなニーズがまた2件。なんじゃぁ、こりゃぁ!

 
12月22日

 ニーズはあと1件。誰もが今日で終わることを確信していた。いや、それは祈りにも近い気持ちだったかもしれない。「今度こそ・・・」

 残っていたのは、Tばあちゃん宅の壁のシート張り。私が把握しているだけでもこの家は5回目の出動。壁にひびがはいっているが、特に雨漏りがするというわけではなく、余震がきたら崩れて隣に迷惑をかけるのではと思ったから。とにかく心配性なのだ。地震以降精神的不安が相当あるようだった。

 午前中でほとんど完了し、センターで昼食。Wさんが、明日から時間ができるから何をしようかと嬉しそうに話していた。

 午後からは、WさんがHさんを追い返すように帰らせた。Hさんは午後から用があるとのことだったので、気を使っているのだろうと思った(このときは)。Hさんが帰ると、Wさんはなんと(!)Hさんの張ったシートをはがしはじめた。機能上は問題ないが、見た目が気に入らなかったらしい。そこまでしなくても・・・。しかも、その作業中に近所の人がやってきて「うちもやってもらえんだーか?」なんてこったい!今日で終わりという野望はまたもくだけた。

 この時点ではだれも気付いていなかったが、これに一番ショックをうけていたのは、明日からのことを楽しそうに話していたWさんだったというのが翌日あきらかになる。

 とにもかくにも、Tばあちゃん宅の作業が完了し、片付けをしているときに事件はおきた。WさんとTばあちゃんがもめているようにみえたのだ!しばらくもめていたが、Wさんは早足で去っていった。すると、Tばあちゃんは私の方にやってきたではないか。その差し出したものをみると、どうやらお金(!!!)である。そう、WさんとTばあちゃんはお金を渡す、もらわないの押し問答をしていたのだ。私も3分程お金を押しつけあったのち、走って逃げた。すると、Tばあちゃんは最後に残ったKYさんが車を出すときにお金を車に投げ入れ、家に駆け込んだ。それはとてもお年寄りの身のこなしとはおもえなかったという・・・。

 結局、センターを通じて返してもらうことになった。このように、無償で作業をしてもらうのはもうしわけないとか、無償でなんて頼めないという人は結構おられた。でも、私たちは対価を求めて活動しているわけではないので、「ありがとう」の一言で充分なので、そんなことに気を使わず依頼してほしいと思う。それでもやっぱり気になるというのであれば、休憩中にお茶をだしてもらえれば充分すぎるぐらいと思う。

 ま、なかにはいたけどね、「やって当然」って態度の人。私たちボランティアも人間なんだからこれはつらい。とにかく、気持ちだけあれば充分ということだろう。

 
12月23日

 この日、私は恐怖を味わった・・・。

 Wさんの助手席での登り坂の信号待ち中のできごとだった。Wさんは曇った窓を拭くことに気をとられていたのか、車が少しづつ坂を下がりはじめた。Wさんもわかっていると思い黙っていたが、いつになってもブレーキがかからない。「W、Wさん、さ、さがってますぅ〜!」「あ、そう?」「おいおい、素かよ!」(心の声)あとで後続の車に乗っていたS君(この日に行なわれた餅つきのためにわざわざ帰ってきていた)に聞いたところによると、バックしてかわしたらしい。てことは・・・。

 車を方向転換するときには・・・、バックしてるときに側溝が近付き、「まさか、落ちないよなー」とおもっていたら・・・、落ちた・・・。でも、Wさんは全く動じず、そのまま前進。なぜ??

 40日ほど連続で来ていることの疲労か、昨日のショックが尾をひいてるのか・・・?

 とにかくこの日で正真正銘すべてのニーズを消化することができた。パンパカパーン!!

 午後からはもちつきに参加して帰った。

 これで長かったシート張り行脚がおわった。季節はまさに冬。被災地の状況もまだまだ冬といえる。しかし、冬のあとには必ず春が訪れる。それを信じて21世紀の幕開けを迎える。そういう状況をつくることに少しは貢献できただろうか。

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