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くわまん日野日記
2000年10月・鳥取西部地震。地震直後から、コツコツと災害ボランティア活動を続ける、我らが、くわまん。そんな彼が綴る体験記です。

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phan-phan
第十部 <新世紀の幕開け>
1月8日

 特にすることはないだろうと思いつつも、様子が気になり日野町に行ってみた。久々に通った根雨の町(センターがあるところ)はなんだか寂しくみえた。センターに着くまでほとんど人を見ることはなかった。ボランティアがあふれることは随分前からなくなっているし、家屋の解体はそろそろ全部終わったころだろうし、この季節に屋根の作業はできない。このようなことだけが理由なら日野も落ち着きをとりもどしつつあるということでうれしいのだが、地震前の日野をよく知らない私としては地震で活気を失ってしまったのではないかと不安にもなる。

 センターに着くと、センター職員のNMさんが「あけましておめでとうございます」と暖かく迎えてくれた。

 センター内は、この建物の年一回の清掃をする業者がはいるのにそなえて、かなり片付けられており、閑散とした印象だった。ずっとここで活動していた者としてはなんとなく寂しい。

 その片付けの一環として、地震直後にスタッフがセンターで寝るのに使っていた毛布を、藤原自動車号でボランティアの宿泊所となっていた社会体育館に運んだ。もちろん、この頃ここに泊まるものはいない。

 終了後、「今年の活動第一号です」とNMさんの認定をいただいた。うれしいやら、うれしくないやら。「それって、今世紀一号ってことや。すごいで!」とは、ヨッシーの言。う〜ん・・・。

 シート張りの依頼も2件はいっていたが、いずれも緊急ではないということで、天候をみてWさんを筆頭とするシートチームに召集をかけるということだった。くるんだろうなぁ。昨日も凄い風が吹いたらしいし・・・。

 夕方のニュースで米子で新生児が連れ去られたことを知った。ここのところ、このあたりのニュースが全国ニュースとなることが多いが、どれもこれも暗い話ばかりでろくなものがない。はぁ・・・。

 
1月14日

 この日は雪がめちゃめちゃ降っていたが、復興イベントとして鳥取県出身の黒木梨花のチャリティーコンサートが開かれるということで、日野に向う。道中、新生児連れ去り事件の検問にあう。これで3回目。「そんなに俺は怪しいかぁ〜〜!」

 会場では、もちつきをしてみんなでおしるこを食べたあと(甘党のYG先生は何杯も食べていた)、コンサートが開かれた。白状すると、私はこの時まで黒木梨花がどんな人物であるか知らなかった。しかし、歌を聴くと「あぁ、この歌の人か」という感じ。仕事で使う車はAMラジオしか入らないため、よくローカルの放送(BSSラジオ)を聴いているが、これでよくながれていた。

 コンサートは非常にほのぼのとした雰囲気で、黒木さんが会場の全員と握手をしてまわっていた。その途中で、照れながら握手をしているおじさんがいた。よくみるとNJさんだった。かくいう私も、今まで知らなかったくせに、握手をしてちょっとうれしかったりして。

 夕方、帰ろうと、凍った駐車場をコケないよう気をつけながら車のところまで行くと、見事なまでに車が凍り付いていた。凍えながら車に乗り込み、そそくさとエンジンをかけようとした。しかーし!エンジンがかからない。いや、正確にはキーが回らない。何回、回そうとしても回らない(なんか目が回りそうな字面だ)。「このくそ寒いのになんてこったい!」

 しばらく考えて思いついた。「もしかしてハンドルロックか?」と。この時は、雲間からひとすじの光がさしたように感じたが、やっぱりダメ。「俺はこんなところで凍え死ぬのか・・・」絶望感が漂う(大げさ)。

 困りはてた私は、この車は借り物だったため(なにをかくそう、愛車シルビアにはスタッドレスがない!)、一応ふだん乗っている者に電話してみた。「あぁ、ときどきなるよ。もう少し挑戦してみたら?」なんじゃ、そりゃ。結局、車に乗り込んでから20分程でキーを回すことに成功。死なずにすんだ(だから、大げさだって!)。

 家に帰ると、例の赤ちゃんが無事保護されたことを知る。あべちゃんちのすぐ近くにいたらしい。久々の明るいニュース。

 
1月21日

 A.P.F.がA新聞の地方面に紹介される。結構大きな写真にはヨッシーとぽん輔が。後ろの方にひそかにYG先生の姿も。

 
1月31日

 この日は、水曜の男TNさんがこられるはずということで、来てほしいと言われていた。今シーズン鳥取県西部は例年よりずっと積雪が少なかったが、ここのところ晴れの日はほとんどなかった。でも、この日は久々の晴天。雪も日が当たらないところに少し残っている程度。まさに作業日和である。

 センターに着くと、やはりTNさんがいた。二人で藤原自動車号に乗り出発。まず、チャレンジショップ一番館へ。これは、地震当日にオープン予定だったが、被害が大きく11月に延期されてオープンした店(YG先生曰く、オープンセレモニーのテープカットをしようとした、まさにその時地震がきたとか)。少し雨漏りがするが、突起物の多い屋根のため普通にシートを張ると破れるだろうから、どうしたものかという相談だった。TNさんが屋根にのぼって様子を見ると、ひびのある部分が何箇所か発見できたため、そこをコーキングでふさいではどうかということになった。

 次に行ったのはシートがはがれてしまったので、張りなおして欲しいという家。これは地震直後に自衛隊が張ったものということだった。この屋根には、あまり日が当たらないためか、まだまだ雪が残っていた。とても屋根にのぼれる状態ではなかったため、午後にもう一度来ることにした。

 もう1件こなしたあと昼休憩をとり、再びその家へ。屋根の雪はほとんどなくなっており、なんとかのぼれそうな状態になった。総二階の建物のため、一気に二階屋根までのぼる。一軒家で近くに建物がなく非常に見晴らしがよい。くわまん語に訳せば、「非常に恐い!」土嚢を30個ほどあげることにしたが、2人しかいないため時間のかかる土嚢の軽量化をせずにくそ重いままあげた。一気に二階まであげなければならないため、TNさんがはしごを往復しながら運び、私が屋根のうえで受け取ることに。このときはTNさんがターミネーターのように思えた。そんなこんなで、無事に張ることができた。二人だけでのシート張りはキツかった。特にTNさんが、ではあるが。

 
2月6日

 朝、ボランティアセンターから電話。でてみると、なんとマーシー(仮)からだった。社会体育館が恋しくて帰ってきたとか(ウソ。いや、半分は本当か)。そろそろ、住民票をうつす覚悟もできたのだろうか?

 用件はといえば、今日・明日と開かれる米子震災フォーラムに行きたいが、明日の水曜にはTNさんがこられるので作業も進めたい。で、私に代わりに来て作業をしてほしいということだった。特に震災フォーラムに行かなければならない義務もなかったし、特に興味もなかった(正直言って、この震災フォーラムのことをよく知らなかったこともあり、たいしたものじゃないだろうとなめていた)から、「いいですよ」と返事。

 昼食をとりながらこの日届いた郵便物をチェックしていると、「震災フォーラムに出とけ」という趣旨のものが!私は2月16日に開かれる行政・企業・ボランティアの意見交換会に出席する約束をしていたのだが、その出席者にあてたものだった。震災フォーラムは午後1時から。現在12時45分。大慌てで出発。

 会場に着くと、予想をはるかに超えた規模のものであることが分かりビックリ。

 終了後、マーシー(仮)から電話。明日のフォーラムにも行くので米子のYG先生宅に泊まるから、一緒に飲みにでも行かないかとのこと。飲んだ後、YG先生宅に行ったが・・・、そこで見たことはとても言えません。ただ、時系列に従って整理としか・・・。みなさん、ごめんなさい。

 
2月7日

 この日はYG先生宅から、YG先生、マーシー(仮)と震災フォーラムに出席。午前の部が終了後、にこにこしながら近付いてくる男を発見。あべちゃんだー!

 午後の部も終わり震災フォーラムが終了した後、震災にかかわったコーディネーターの反省会が開かれたが、なぜか4人ともこれにもぐりこむ。終了後、あべちゃんはBさんに拉致されたが、私は無事帰ることができた。

 新世紀を迎え、ボランティア活動も緊急・救急的なものからの変化を迎えた。日野町の災害ボランティアセンターの今後についても考える時期が来ていた。ただ、震災フォーラムでは「地震はもう過去のものだ」という見方が強いように感じたが、まだ地震を完全に過去のものとしてしまう時期ではないと思う。

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